随分と長く更新が止まってました。
毎日、チェックして頂いていた方々大変申し訳ございませんでした。
もう放送も済んで再放送も終了しましたが、RUN&GUN SALT
OSAKA GOMOKU GAME 参考になりましたか?
撮影裏話ですが、当初予想の三日目・・・朝一だけ撮影予定を一応
組んでました。
しかし、初日に順調に釣ったので三日目はナシとなったのですが、
やはり大爆釣のもの凄いナブラとなってました。
ただ、残念と言いますか、初日が強風というか暴風の横風だった為
にサンダージグの土壇場となっていますが、私的にアイスジグが主力
だったのです。
それが、初日には横風が強すぎて二日目は朝の一瞬で時合いが終わり
という状況でした。
そこが、私の心残りでした。
そして、次に放送された広島ランカーシーバス・・・同じディレクターだった
のでロケ中に次のロケに関して色々と想いを聞いてました。
流石の嶋田さん、私も楽しく拝見しました。
バイブレーション・・・私もやり込んだルアーだったので
「そうそう、そうやん!」と色々と思いながら、内容の濃さと釣果に素晴らし
く感じました。流石ですね。
さて、先月末の11/30に常見 忠さんこと「忠さん」が亡くなられました。
このニュースは、本当に衝撃と悲しみが深くて言葉がありません。
心からご冥福を祈ります。
私が常見さんに初めてお会いしたのは、今から11年前でした。
当時から尊敬していたお方だったので初めてお伺いする時は、とても緊張
をしました。
日本のルアーの草分けでもあり、
ルアーの神様とも言えるお方だったのですが、私の周りには常見さん
のお知り合い
の方々も居ましたのでお会いするきっかけも・・
「きさくて大変優しい方だから行ってごらん」という声が背中を押してくれ
ました。
お会いする前に緊張してお電話をした所若い心地良い声で「是非、いっら
しゃい」と快く日時を決めて伺いました。
初めて色々なお話をする中で長く疑問に感じていたサクラマス・岩魚とイトウ
の共通性や捕食・追う速度等々の考えや疑問や攻め方と多岐に渡って色々
な話をしながら多く釣りの話を語り合いました。
あの当時、新潟ではサクラマスの河川での釣りは密漁でもあったので私は
海で狙えないかと色々と地図を見て、足を運んで「ここはもしかして?」と山
立てをしてましてその時に時期と狙いを決めて、それ用にスプーンを塗って
もらった際に山北町の漁師さんから聞いたお話やらととかく熱い釣り談義
でした。
また、転勤で三重に戻る際には、開高さんが愛用したパイプでタバコを頂き
一緒にタバコを吸いながら語り合いました。
なんともブログに綴るには、うまくまとめる事が出来ませんが・・・
そして、今年の6月に新潟の釣友に会いがてら常見さんに10年振りに
お会いしたばかりの訃報でした。
残念ですが、一生の思い出を頂いたように思います。
一度、色紙にサインをして頂いたのですが、常見さんの好きな言葉が
綴られています。
「楽しき哉ルアー、愛しき哉魚たち」
色々なジャンルで釣りの文化は、広くて時には商業的な面も多々感じます
が、釣りを愛する中でもっともシンプルで的を得た名言ではないか?と感じ
ます。
私が最後に常見さんにお会いした時に感じたのは
「夢を求める」
そう感じました。
黎明期の頃は、情報もなく自らの足と情熱が釣果となって喜びもまたひとしお
だったと思います。
それは今も変わらず釣り師の夢と情熱が、魚との出会いとなる貴重な瞬間で
はないでしょうか?
開高さんの言う「忍耐の芸術」
色々な想いが交錯して尚の釣りではないでしょうか?